2013年11月28日木曜日

【文化人類学】空間と境界、それと交易【昨日までの世界③】

今日の社会において、我々はある程度の制約はあるものの自由に行き来することができる。
他国にも手続きを経た上で入国できるし、EUの域内の移動の自由のように国境を超えるような試みも始まっている。

スイスとイタリアの国境、サン・ジャコモ峠の国境の礎石(Wikipediaより引用)

では「昨日までの世界」においてはどうなのだろうか。

大きく分けて2つのパターンに大別されるようだ。


1.排他的占有領域を持つ集団

ジャレド・ダイアモンドが鳥類の調査のためにニューギニアの山岳地のある村を訪れた。
彼が村の近くの尾根に野営するため村人の中から手伝いのアシスタントを2人雇おうとしたところ、もっと大勢で行かなくては危険だと言われてしまった。
訳を尋ねると、目的地である尾根には彼ら山の民(マウンテン・ピープル)と敵対する川の民(リバー・ピープル)が住んでいるからだという。

仕方なく武装した男性たちや料理や水汲みを担当する女性たち総勢20人ほどに同行してもらい、ジャレドは目的の調査地点へ向かった。
その際に山の民が、どこからが川の民たちの占有領域であるとか、そこに入ったら殺されても仕方がないことなどを教えてくれた。

彼は、山の民と川の民の関係はお互い縄張りの不可侵というシンプルな関係かと思っていたが、実態はもう少し複雑だった。

野営2日目、彼は非常に肝を冷やす体験をする。
その日、山の民の男性1人を伴って野営地付近を散策していると、川の民の領域から人の声が聞こえてきた。
すわ敵襲かと身構えるジャレドに、山の民は心配ないとこう説明してくれた。
我々は、川の民が海岸へ行くために山の民の土地を通行することを許可しているのだと。

もちろん山の民の土地を通ることはよいのだが、純粋に通行のみで食料採集や木の伐採などは不可なのだという。

つまり両者の関係は完全な敵対関係という訳ではなく、お互いの合意のもと行っていいことといけないことがあるらしい。

さらに2日後、調査を終えて野営地に帰還したジャレドは、そこに山の民たちと談笑する6人の川の民を目撃した。
川の民のグループは、海岸へ行く途中野営地に表敬訪問してきたのだという。

このように両者の関係は、領域を巡って紛争が起きることもあれば、一定の交流もあり、時には一方からもう一方へ嫁入りをして婚姻関係が成立することもあるらしい。


上述のニューギニアの山の民のように排他的な立場を取る社会集団は他にもある。
アラスカのイヌイット、北海道の先住民アイヌ人、南米のヤマノミ族などだ。


イヌピアト族(Wikipediaより引用)

イヌイット系のイヌピアト族では、かっては領域内に別の集団の構成員が入り込んだら殺していた。
領域侵犯の中で多いのは、トナカイ狩りに夢中になるあまりうっかり入り込んでしまうケースだ。
またアザラシ漁を行うため海上に出て不運にも遭難してしまった場合、運よく陸地に漂着することができても、そこが他集団の領域であれば殺されてしまう。

とはいえ彼らもまたニューギニアの山の民と川の民のように100%の排他的な関係ではなく、年に1回の夏の交易市が催される際など特別な場合には通行が認められることもあった。
A集団が隣接するB集団を挟んだ向かい側のC集団を訪問する際も、またC集団と交戦する場合にも特別に通行できたりもする。


このように相互に排他的な領域を持つ社会集団には以下の4つの条件がある。

①領域の人口が多い
②領域内の生産性が高く、また安定しており、領域外にほとんど出なくとも事足りる
③領域内に命を懸けて防衛すべき資源や設備がある
④他の集団との人員の流動性が低く、敵味方の識別が容易


2.非排他的な占有領域を持つ集団

では代わって互いの領域の行き来するための制限が緩やかな社会集団を紹介しよう。

アフリカのカラハリ砂漠に居住するサン人系のクン族の例だ。

サン人の集落(Wikipediaより引用)
 
彼らは数十人の小規模血縁集団(パンド)に分かれ、それぞれ100平方マイルから250平方マイル(約260㎢~約650㎢)の土地を所有していて、それらの土地を彼らの言葉で「ノレ」と呼んでいる。
 
クン族は先に触れた山の民やイヌピアト人のように明確な境界は設けない。
ノレの中心から離れるにしたがってどちらの領域なのか曖昧になっていく。
 
クン族の社会集団は他の社会集団とある生活必需資源を共有している。
それは水だ。彼らが住むカラハリ砂漠は水が乏しく、ウォーターホールと呼ばれる水を湛えた窪地が点在していてその周りに人々が住んでいるのだが、乾季には枯れてしまったりする。
乾季には水を求めて、人々は枯れてないウォーターホールがある他の集団のノレへ移動するのだ。
また狩りや採集もノレを越えて行われたりする。その際にそのノレの所有集団と遭遇した時は獲物の一部を贈物として渡すのだそうだ。
 
こうした資源の供給が不安定な地域のため、資源が時期によっては枯渇してしまうようなエリアを防衛する意義は薄いし、それよりも困ったときはお互い様で他集団と協調した方が有益なのだろう。
 
 
アメリカのロッキー山脈とシエラネヴァダ山脈の間に住むアメリカ先住民のショーショーニー族も似たような生活様式を持っている。
 
彼らの居住する地域は過酷な乾燥地帯で、冬季は非常に寒さが厳しい。
一年の大半を家族単位で過ごすが、冬季は水場の近くや松の実の栽培地に複数の家族で寄り添って生活する。
ごくまれではあるが共同で狩りを行ったりもする。
 
 
彼ら非排他的な占有領域を持つ集団に共通するのは下記の4点だ。
排他的な占有領域を持つ集団とは反対の条件である。

①領域の人口が少ない
②領域内の生産性が低い、また不安定で、領域外に出る必要がある
③領域内に命を懸けて防衛すべき資源や設備がない
④他の集団との人員の流動性が高い



最後に伝統的社会における交易について述べよう。

排他的、非排他的に関わらず、彼らも他集団と一定の交易によるさまざまな品物の取引を行う。
ヨーロッパの内陸のクロマニョン人の遺跡からは、その場所から1,000マイル(約1,610㎞)以上離れたバルト海の琥珀や地中海の貝殻が見つかっており、少なくとも数万年前の氷河期の時代から人類が交易を行っていたことが明らかになっている。

ラスコー洞窟の壁画(Wikipediaより引用)

ただし現代の貿易や商取引と異なる点は、自分たちでも生産あるいは保有している品物でも、他集団と取引を行うことも多いのだそうだ。

現代の取引が相互補完のため、自分たちが多く持っていたり生産するのが得意な品物を売って、自分たちが持っていなかったり生産が不得意な品物を買うことが当たり前なのとは対照的である。

それは伝統的社会の人々が、純粋に経済的な必要とは別に周囲の他集団との政治的な関係を結ぶためだと考えられる。

彼らは、取引は物と物の関係以上に人と人を結ぶものだという捉え方をしているからだろう。


〈参考資料〉

 
〈関連記事〉
【文化人類学】伝統的社会とは何か【昨日までの世界②】

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2013年11月25日月曜日

【ヨーロッパ説話】フライング・ダッチマン【審判の日までさまようシリーズ】

フライング・ダッチマンは「さまよえるオランダ人」とも呼ばれる海洋怪談の一種である。
地中海と紅海を結ぶスエズ運河がなかった頃、ヨーロッパからアジアへの航海はアフリカ大陸をぐるっと回るコースが取られていた。
 
アルバート・ライダー画「フライング・ダッチマン」(Wikipediaより引用)

 
たぶん300年くらい昔、インドを目指して航行中のとあるオランダ船がアフリカ大陸最南端の喜望峰に差し掛かった時のことである。
船は突然の嵐に見舞われて、遭難してしまった。
伝わっている伝説によると、この船の船長はインドまで短い日数で到達してみせると賭けをしていたそうだ。
それなのに嵐に順調な船旅を妨げられて船長激おこw
思わず神を呪うような言葉を吐いてしまった。
 
 
そしたら天罰が下り、哀れなオランダ人船長は死ぬこともできず、永遠に(あるいはキリスト教における世界最後の日である審判の日まで)さまようことになってしまったのだという。
 
喜望峰(Wikipediaより引用)
 
以来、喜望峰近海ではたびたびこの幽霊船が目撃されていて、第一発見者は死ぬと恐れられた。
イギリスの現エリザベス女王の祖父のジョージ5世が、王太子時代海軍士官であった1881年に目撃しちゃったりしてる。(ソース怪しいですw)
 
どうもこの伝説はいろいろ尾ひれがついているようで、確認できる最古の文献は1795年のジョージ・バリントン著『ボタニー湾への旅』 で、1隻のオランダ船が喜望峰付近で遭難し、後日その幽霊船が目撃されたという怪談話が元のようだ。
審判の日まで云々や見たら死ぬは後付けなのかもね。
 
また、音楽家リヒャルト・ワーグナーによってオペラ化されていて、
フライング・ダッチマンは7年に1度だけ上陸することができるが、その港で乙女の愛を得ることができない限り死ぬことことが許されず永遠にさまようのだという設定になっている。
ロマンチックな七人ミサキみたいなもんだw
 
沿岸部に住む乙女の諸君!
フライングダッチマンが君の街にやってきたら愛してあげてねw



〈参考資料〉
フリー百科事典Wikipedia

ニコニコ大百科

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【イギリス説話】ヘルラ王【浦島太郎類話】

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2013年11月19日火曜日

【哲学】水槽の脳【思考実験】

今我々が認識している現実は、培養液の中に浮かび、接続された無数のケーブルから信号を受け取った脳みそが構築したバーチャルリアリティかも知れない。

1982年、哲学者ヒラリー・パトナムが考案した思考実験がこの「水槽の脳」である。

我々が見る世界は視神経から伝わる信号を脳が再構築したものだ。
我々が聴く世界は聴神経から伝わる信号を脳が再構築したものだ。
匂いも味も触るものも同様だ。

今皆さんがいるのは本当に実在する世界だろうか?


夢を見る水槽の脳(Wikipediaより引用)
 

この世界観を表したネット上のコピペもある。
ゆめみがちサロン

それと内容忘れちゃったけど浦賀和宏の『頭蓋骨の中の楽園』っていいタイトルだね。





〈参考資料〉
フリー百科事典Wikipedia

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【哲学】チューリングテスト【人工知能】
【哲学】中国語の部屋【人工知能】
邯鄲の夢
哲学的ゾンビ
クオリア

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【中国説話】爛柯(ランカ)【浦島太郎類話】

三国志より少し後の晋の時代、王質という木こりがおったそうな。

ある日、王質が石室山という山に木を伐りにいったところ、数人の童子が歌いながら碁を打っておった。

(Wikipediaより引用)

その対局があまりに面白かったので王質は時が経つのを忘れて見入ってしまった。
どのくらい忘れていたかというと、持っていた斧の柯(柄)が爛(くさ)ってしまうくらい。ちょw

慌てて山を下りたが、王質のことを知っている人はもう誰一人いなくなっていたそうな。


南朝梁の任昉著『述異記』より。

この言い伝えから、時が経つのを忘れるほど熱中することを爛柯という。
会社辞めて引きこもってネトゲでもやったら余裕で10年くらいはあっという間だろうなー。


〈参考資料〉
フリー百科事典Wikipedia
円環伝承 ~神話・民話・雑学のサイト~

〈関連記事〉

【フランス説話】ギンガモール【浦島太郎類話】
【アメリカ文学】リップ・ヴァン・ウィンクル【浦島太郎類話】

【イギリス説話】ヘルラ王【浦島太郎類話】
【キリスト教説話】天上の悦び【浦島太郎類話】

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2013年11月18日月曜日

【哲学】中国語の部屋【人工知能】

過去記事チューリングテストで数学者アラン・チューリングが提唱した人工知能判別方法について説明した。

これは質問して受け答えが人間並みならそのコンピューターは知性を持っているよ!というものだが、これに対して1980年哲学者ジョン・サールがチューリングテストへの反論として発表したのが「中国語の部屋」という思考実験である。


この実験はまず英語しかできないイギリス人を部屋に閉じ込める。
この部屋にはメモ紙を出し入れできる穴があり、そこを通って外部と文書によるやり取りを行える。

さっそくメモ紙が入ってきたぞ。
しかしそこに書かれているのは中国語だ。意味分かんねえぞ!
イギリス人の彼には中国語の漢字はただの記号にしか見えない。
「○Д→Å×∬」といった具合である。
我々日本人なら中国語が分からなくても漢字からなんとなく意味は分かるかもしれない。

でも大丈夫。部屋には対応マニュアルが備えてあり、「○Д→Å×∬」というメッセージには「☆Иθ∈¶〒」と返せとかあらゆる質問に対応する返答例が記してあった。
こうしてイギリス人はせっせと中国語のメモに対して中国語で返事をする。
外にいる人から見たら、中にいる人は中国語が理解できるということは疑いようがないだろう。

マニュアルに従って作業をするイギリス人(Wikipediaより引用)

つまりサールはこう言いたいのだ。
「チューリングテストで人間同然だとしても、そのコンピューターはあらかじめプログラムされた反応をしているに過ぎないかも知れないじゃないか。そんなの知性があると言えるのか!?」
機械がいくら進化しようとも、それは人間の知性とは根本的に違うものでしかないと言うのだ。

しかしその思考実験は新たな謎を呼んでしまう。
機械が「中国語の部屋」だとしたら、我々人間も「中国語の部屋」なんじゃないか?

我々も所詮は言葉を「脳という機械」によって使いこなしているに過ぎない。

身も蓋もないが、機械も、ペットも、人間さえもチューリングテストさえパスすれば知性やココロがあると判断してもいいのかも知れない。



〈参考資料〉
フリー百科事典Wikipedia
哲学的な何か、あと科学とか

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【哲学】チューリングテスト【人工知能】
【哲学】水槽の脳【思考実験】
哲学的ゾンビ
クオリア

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【哲学】チューリングテスト【人工知能】

10年くらい昔、まだ消費者金融に対する規制がまだ緩かった頃。

消費者金融大手のアイフルの公式HPに、当時のイメージキャラクターであった安田美沙子がWeb上でアイフルのサービスに関する質問に対応する人工知能コンテンツがあった。

こちらが入力した質問に答えてくれているのだが、これが良くできていて瞬く間に2ちゃんねらーに目を付けられておもちゃにされてしまった。
下記がその問答例である。


Q.「握手してください」
A.「ごめんなさい。サイトの中にいるので、お客様と握手は出来ないんです…。」

Q.「安田大サーカス」
A.「はい。私の名前を呼びましたか?」

Q.「彼氏はいるの?」
A.「男らしくて、笑うとやさしい笑顔を持った人が好きです。」

Q.「下着の色は?」
A.「そういう言葉は好きではありません。アイフルのサイトやサービスについてご質問はございますか?」

Q.「死にたい」
A.「そんなことを言わないでください。他に何かお手伝いできることはございますか?」


といった具合である。

人工知能の技術進歩は目覚ましく、2013年現在チェスではコンピューターが人間に勝ったが将棋では未だだ。しかし近い将来将棋でもコンピューターが勝つ日がくるだろう。

また文芸創作のようなクリエイティブな領域にも研究者たちは可能性を見出していて、星新一の膨大な作品データを解析させて、コンピューターに小説を書かせる試みもあるそうだ。


人工知能開発の萌芽期1950年、数学者アラン・チューリングはコンピューターが知性を備えているか否かを判別するための試験として「チューリングテスト」を考案した。

チューリングテストとはコンピューターに対して次々と質問を投げかけ、その回答が人間と見分けがつかなければ合格、知性を備えていると判断して良いというものだ。

試験者はコンピューターと人間に対して言語で質問をする(Wikipediaより引用)
 
 

フィクションのロボット、ドラえもんはチューリングテスト合格である。
今のところチューリングテストを合格できる人工知能はいない。
しかし近い将来コンピューターはこれもクリアしてしまうだろう。


人工知能をテーマとしたフィクションは数多と存在する。
その中で筆者オススメは『記憶の果て』と『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』である。

『記憶の果て』はコンピューター上に再現された知性“安藤裕子”と主人公の男子高校生の甘酸っぱい邂逅を描いたSF・ミステリ小説。ラストは衝撃的で、多感な思春期にこんなものを読んだ当ブログ筆者の感性は大いに歪んだと思われる。
あの京極夏彦にも激賞された作品だが、いまいち売れなかった。
大変な名作なので是非多くの人に手に取っていただきたい。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は言わずと知れたSF小説で、映画化もされているので知っている人も多いと思う。
人間と区別がつかないまでに高度な知性を備えた人造人間を狩るハンターの物語で、人間とは何か、知性とは何かを考えさせる大作である。
実は未読だが、あらすじだけで素晴らしい内容であることは明白だ。




〈参考資料〉
フリー百科事典Wikipedia
哲学的な何か、あと科学とか

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2013年11月14日木曜日

【イギリス説話】ヘルラ王【浦島太郎類話】

おそらくブリテン島がアングロサクソン人に征服される前の、ケルト人が支配していたころのお話。


古代ブリテンにヘルラ王という有力な王様が居た。

ヘルラ王がある日狩りに出かけたところ、山羊に乗った小人(ピグミー)に出会った。
小人は人間の半分くらいの背丈で、頭がデカく、赤いヒゲを生やしていた。

小人は美しくはなかったが、丁寧な言葉づかいで自分が小人の王であると名乗り、1年後にヘルラ王がフランス王女と結婚するという予言を述べた。

その翌日、フランスの王から使者が来訪し、ヘルラ王にフランス王女を嫁がせたいと言ってきた。
小人の王の予言通りに1年後、二人は結ばれたのだ。

婚礼の祝宴には小人の王がたくさんの従者を連れて訪れた。
彼らが持参した素晴らしいワインや御馳走の数々に、王や王妃も大変満足したものだった。

宴も終わり、去り際に小人の王は言った。
「ヘルラ王よ。お願いがあります。私も1年後に結婚するので、是非私がしたようにあなたも私の結婚を祝いに来てください」


ヘルラ王は約束を忘れなかった。
1年を通じてこの友人に報いるためにヘルラ王は素晴らしい贈物を集めた。

1年が経ち、その日が来ると小人の王が迎えに訪れたので、ヘルラ王は贈物を騎士たちに持たせて小人の国へと旅立った。

小人の国の入り口は暗い洞窟の奥にあり、進んでいくと緑の草原が広がっていた。
そこには大きな宮殿がそびえていて、ヘルラ王と騎士の一行は小人の王の案内で宮殿に導かれていった。

宮殿では三日三晩におよんで華やかな婚礼の祝宴が催され、一行は大変楽しく過ごした。
やがて宴も終わると、小人の王はヘルラ王にたくさんのお返しの贈物をくれた。

別れの時、小人の王はヘルラ王にさらに小さな猟犬を渡し、
「王よ、この猟犬が馬の鞍から地面に飛び降りるまで、馬から下りてはなりません」
と付け加えた。

そして王と騎士の一行は小人の国を離れ、元の世界へと帰ってきた。

そして通りがかりの農夫に話しかけてみるとどうも様子がおかしい。
「うわー旦那はやけに古いウェールズ語を話すね。
わしらは200年前にこのブリテン島を征服したサクソン人だよ。
え、ヘルラ王?ずっと昔にそんな名前の王様が居たって話は聞いたことあるだよ。
なんでも洞窟に入ってそのまま出てこなかったらしいよ」

こう農夫が言うのを聞いて何人かの騎士が慌てて馬を降りた。
するとなんということでしょう。地面に足が着いたとたん長い年月が降りかかってきたのか、チリと化して消滅してしまった。ホラーw

王は他の騎士たちに馬から下りるなと命じて、馬を駆けて行った。


それからというもの、イギリスではヘルラ王と騎士の一行が狂ったように馬を駆る姿が時々目撃されるそうだ。
一行は猟犬が馬から飛び降りるのを待っているが、犬は決して飛び降りないのだ。
おそらく審判の日(キリスト教における世界の最後の日)まで下りないだろうと言われている。

『ワイルドハント』ペーテル・ニコライ・アルボ(Wikipediaより引用)


なんだかフライングダッチマンを連想しちゃいそうなお話。
小人王は何の恨みがあってこんな真似をw小人めwぐう畜すぎww
西洋版「百鬼夜行」とも言える彼らは、ヘンリー2世の治世に1154年に詳しい目撃談が残されている。


〈参考資料〉

中世ヨーロッパの説話―東と西の出会い (中公文庫)
フリー百科事典Wikipedia
円環伝承 ~神話・民話・雑学のサイト~

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