2013年12月15日日曜日

【哲学】コウモリであるということ【思考実験】

仕事でお世話になっている方にコウモリの研究者がいる。

生物学の研究者でありまた教育者でもある彼は、自然と人間の関わりを学ぶ様々な活動をしていて、身近に生息するコウモリを観察しようというワークショップに一度参加したことがある。

コウモリと一口に言っても様々な種類がいて、哺乳類全体の約4分の1を占める約980種のコウモリがいるそうだ。(ちなみにネズミは哺乳類全体の約2分の1を占める2,000~3,000種。ネズミとコウモリだけで哺乳類の4分の3かよw)

(Wikipediaより引用)

コウモリと言えば吸血鬼につながるイメージが強いが、血を吸うコウモリは中南米に生息するナミチスイコウモリなどごく一部で、大抵のコウモリは虫や植物を食べるそうな。

当ブログ的にコウモリを紹介すると、ヴェスヴィオ山の噴火で亡くなった古代ローマの博物学者プリニウスに「翼をもったネズミ」と呼ばれ鳥類に分類されたことや、
四国の覇者長宗我部元親が織田信長から強者のいない場所で幅を利かせているという意味で「鳥無き島の蝙蝠」と呼ばれたこと、
イソップ寓話では鳥と獣の中間的な生態からどっちつかずの八方美人でハブにされた話、
中国では蝙蝠の字が「福」に通ずることから縁起の良い生き物とされ、百年生きたネズミはコウモリにトランスフォームするという伝説から長寿のシンボルとされたことなどが挙げられる。


さて本題。

ユーゴスラビア生まれのアメリカの哲学者トマス・ネーゲルは1979年、意識や心は脳という物質の化学反応の産物に過ぎないという物理主義に対抗して「コウモリであるとはどのようなことか」という論文を書いた。

コウモリは視覚はあまりよくなくほとんど見えていないが、レーダーのように高周波の鳴き声を出して跳ね返ってきた音から周囲のモノの大きさや距離や動きなどを知覚している。

この感覚は人間にはないものだ。
仮にコウモリの神経回路を研究して知り尽くした人がいるとしよう。
たとえそんな人であってもコウモリが音でモノを視るという感覚を感じることは絶対にできない。

獲物を捕らえるときにコウモリの脳や神経がどのような働きをするのか説明することはできても、主観的な感覚は絶対に体験できないのだ。

これはコウモリ以外の動物にも当てはまるだろう。
人間以外の生き物がこの世界をどう見ているのか我々には想像することしかできない。

というか自分以外の他者がどういう主観的な体験をしてるかは人間同士でも分からんよねw
脳の構造は一緒だからたぶん主観も近いと推測することしかできない。


<参考資料>
 

フリー百科事典Wikipedia

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