2013年12月29日日曜日

【キリスト教説話】天上の悦び【浦島太郎類話】

ある坊さんが神に対して「天上の悦楽のうち最も小さいものを一つお示しください」と祈った。
するとこれまで見たことのない小鳥が飛んできて歌いだした。

小鳥が移動を始めたので、坊さんは小鳥について行って森の中に分け入っていった。

木に止まって歌う声に坊さんは聞き惚れた。
やがて小鳥が飛び去って行き、我に返った坊さんが僧院に戻ったのだが様子がおかしい。

僧院にはその坊さんを知っている人は誰もいなかったのである。
僧院の人々が坊さんに対して院長の名を聞き、その名を僧院の記録を漁って調べてみると、
なんと300年前の院長の名であった。

その事実を坊さんに伝えると坊さんはたちどころに死に、天に召されていった。


ニコル・ボゾンの『道徳訓話集』より

(Wikipediaより引用)

うーん解釈に困る話だw


〈参考資料〉
中世ヨーロッパの説話―東と西の出会い (中公文庫)


円環伝承 ~神話・民話・雑学のサイト~

〈関連記事〉

【フランス説話】ギンガモール【浦島太郎類話】


【アメリカ文学】リップ・ヴァン・ウィンクル【浦島太郎類話】

【イギリス説話】ヘルラ王【浦島太郎類話】

【中国説話】爛柯(ランカ)【浦島太郎類話】


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2013年12月21日土曜日

【グリム童話】トゥルーデおばさん【グレートマザー】


むかしむかしあるところに糞生意気な女の子がおりました。
わがままで親の言うことなど全く聞かない糞ガキでした。

ある日、女の子は両親にこう言いました。

「わたし、トゥルーデおばさんのところに行ってくるね。
変わった人で、珍しいものをたくさん持ってるんだって!」

それを聞いて両親は猛反対。

「トゥルーデおばさんはマジキチw行ったら勘当するおw」

女の子は両親の言うことなんてまるで無視。
そのままトゥルーデ宅に凸した。

~到着後~

トゥルーデおばさんの部屋のドアを開けた女の子に、
トゥルーデおばさんは言いました。

「そんなに青い顔してどうしたんだいw」

「おばさんちの階段に真っ黒い男がいて、それが怖くって」

「それは炭を焼く男さ」

「それから緑の男を見たわ」

「それは猟師だよ」

「そのあと血みたいに真っ赤な男もいた」

「それは屠殺屋さ。」

「あとさ、この部屋に入る前に窓を覗いたら頭が炎上した悪魔が見えたの」

「そうかい、そうかい。お前は魔女が化粧をするところを見たんだよ。
わたしゃお前が来るのをずっと待ってたんだよ。さあ光っておくれ」

そう言うとトゥルーデおばさんは女の子を丸太に変えて、火の中に放り込んだ。

丸太が燃え上がり、火の勢いが増す。
トゥルーデおばさんはその火で暖を取りながらつぶやいた。

「どうだい恐ろしく明るいじゃないか」

(Wikipediaより引用)


なんなんだろうこの話はw
このまんま読むと「親の言うことは聞きましょう」とか「魔女には関わってはいけません」という教訓話という捉え方ができる。


円環伝承 ~神話・民話・雑学のサイト~』というサイトでは大変興味深い考察をされていて、ロシアの超メジャーな魔女バーバ・ヤーガが登場する「うるわしのワシリーサ」なるロシアの民話との類似を指摘している。

くだんの主人公ワシリーサも、バーバ・ヤーガの小屋の前で白い騎士・赤い騎士・黒い騎士を目撃するのだが、それぞれ「夜明け」・「太陽」・「夜のとばり」であり、バーバ・ヤーガのしもべなのだという説明がされている。

民俗学的にはトゥルーデおばさんもバーバ・ヤーガも、キリスト教普及前の太古の地母神がルーツで、かっては人々の信仰を集めた女神であるがキリスト教により貶められ、零落して魔女となったなれの果てだという説明がなされる。

バーバ・ヤーガいわく夜明けや太陽や夜が下僕って言うんだから元々は相当スケールのでかい大地の神なんだろう。今まで小屋に住んでる小汚いただのババアだと思っててごめんねバーバ・ヤーガ。

その他の民話全般に登場する数多の魔女たちも同様であり、我が国の人食いの「山姥」もそんな存在なのだろう。

デフォルメされた巨乳の地母神ヴィーナス像(Wikipediaより引用)

またユング派心理学においては「グレートマザー」なる人類共通のイメージがあるとされる。
グレートマザーは母のように慈しむであるとか、保護するとか豊穣、実りという優しい要素がある反面、
束縛する、全てを呑み込む、底知れぬ暗黒、破滅であるといった怖い面も持っている。

グレートマザーの正の要素が強いものは聖母マリアや観音菩薩、ギリシャのガイア、インドのサラスバティーなどが挙げられ、
負の要素が強調されたものは前述のトゥルーデおばさん、バーバ・ヤーガ、山姥に加えてインドのカーリー(大量のいけにえを欲する怖い女神)や夜叉、イヌイット神話のセドナ(メガテンに出てくるねw)などである。

また正と負の中間的な存在としては日本神話のイザナミ(たくさんの神々や日本列島を生んだ反面、死者の国の主として命を殺す存在でもある)、鬼子母神(仏教の説話で、子供を食らう悪神だったが釈迦に子供を拉致されて命の尊さを知り、改心して子供の守護神となった)なんかもいるw
おもしれーw


本題に戻ってこの「トゥルーデおばさん」の話を一言で言うと、魔女に負けてしまった「ヘンゼルとグレーテル」だな。

それにしてもWikipediaのこの話の記述がわずか2行で吹いたw



「トゥルーデおばさん」の素晴らしいアレンジ漫画


こちらもどうぞw


〈参考資料〉
  

フリー百科事典Wikipedia


円環伝承 ~神話・民話・雑学のサイト~

 〈関連記事〉
 
【ギリシャ神話】エリュシクトーン
地母神の怒りw

【グリム童話】コルベスさま【猿蟹合戦類話】

【グリム童話】子どもたちが屠殺ごっこをした話【削除された話】


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2013年12月15日日曜日

【哲学】コウモリであるということ【思考実験】

仕事でお世話になっている方にコウモリの研究者がいる。

生物学の研究者でありまた教育者でもある彼は、自然と人間の関わりを学ぶ様々な活動をしていて、身近に生息するコウモリを観察しようというワークショップに一度参加したことがある。

コウモリと一口に言っても様々な種類がいて、哺乳類全体の約4分の1を占める約980種のコウモリがいるそうだ。(ちなみにネズミは哺乳類全体の約2分の1を占める2,000~3,000種。ネズミとコウモリだけで哺乳類の4分の3かよw)

(Wikipediaより引用)

コウモリと言えば吸血鬼につながるイメージが強いが、血を吸うコウモリは中南米に生息するナミチスイコウモリなどごく一部で、大抵のコウモリは虫や植物を食べるそうな。

当ブログ的にコウモリを紹介すると、ヴェスヴィオ山の噴火で亡くなった古代ローマの博物学者プリニウスに「翼をもったネズミ」と呼ばれ鳥類に分類されたことや、
四国の覇者長宗我部元親が織田信長から強者のいない場所で幅を利かせているという意味で「鳥無き島の蝙蝠」と呼ばれたこと、
イソップ寓話では鳥と獣の中間的な生態からどっちつかずの八方美人でハブにされた話、
中国では蝙蝠の字が「福」に通ずることから縁起の良い生き物とされ、百年生きたネズミはコウモリにトランスフォームするという伝説から長寿のシンボルとされたことなどが挙げられる。


さて本題。

ユーゴスラビア生まれのアメリカの哲学者トマス・ネーゲルは1979年、意識や心は脳という物質の化学反応の産物に過ぎないという物理主義に対抗して「コウモリであるとはどのようなことか」という論文を書いた。

コウモリは視覚はあまりよくなくほとんど見えていないが、レーダーのように高周波の鳴き声を出して跳ね返ってきた音から周囲のモノの大きさや距離や動きなどを知覚している。

この感覚は人間にはないものだ。
仮にコウモリの神経回路を研究して知り尽くした人がいるとしよう。
たとえそんな人であってもコウモリが音でモノを視るという感覚を感じることは絶対にできない。

獲物を捕らえるときにコウモリの脳や神経がどのような働きをするのか説明することはできても、主観的な感覚は絶対に体験できないのだ。

これはコウモリ以外の動物にも当てはまるだろう。
人間以外の生き物がこの世界をどう見ているのか我々には想像することしかできない。

というか自分以外の他者がどういう主観的な体験をしてるかは人間同士でも分からんよねw
脳の構造は一緒だからたぶん主観も近いと推測することしかできない。


<参考資料>
 

フリー百科事典Wikipedia

<関連記事>
【哲学】チューリングテスト【人工知能】

【哲学】中国語の部屋【人工知能】

哲学的ゾンビ

クオリア


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2013年12月4日水曜日

【人物伝】毛利勝永【安土桃山時代~江戸初期の武将】

大坂の陣において豊臣方の勇将としては真田信繁(幸村)と後藤基次(又兵衛)らが有名であるが、今回紹介する毛利勝永も前記の二人に劣らず天晴れな武将だ。
以下ほとんどWikipediaのコピペ。


勝永は、羽柴秀吉の家臣の毛利勝信の子として天正5年(1577年)に誕生している。

九州平定が成った天正15年(1587年)に父勝信は豊前国(福岡県の東側)小倉6万石、勝永は豊前国内に1万石を与えられた。
その際に元々は森姓だったのを、中国地方の毛利氏にあやかって毛利姓に改姓している。

慶長2年(1597年)の慶長の役において、蔚山城の戦いで戦功があったそうだ。

慶長5年(1600年)、伏見城攻略で活躍したものの、関ヶ原では安国寺恵瓊の指揮下に組み込まれ戦いに参加できずに終わってしまった。

戦後は改易(領地没収)となり、父と共に身柄を新たに土佐国(高知県)の領主となった山内家に預けられる。
山内一豊は織田家臣出身で、毛利親子と古くから親交があったため厚く遇された。

しかし徳川との緊張状態が高まる豊臣家の要請を受け、息子勝家を連れて土佐を脱して大阪城へ入城する。

大坂城では真田信繁や後藤基次らと共に大坂城の五人衆と称された。

冬の陣では特に戦闘はなかったが、続く翌年の夏の陣では華々しい武勲を立てている。
まず道明寺の戦いにおいて殿軍を務め、真田勢ら豊臣軍を無事に撤退させることに成功した。
この戦いで後藤基次の戦死を嘆いた真田信繁が決死の覚悟を決めるも、勝永に諌められて撤退している。

翌日の天王寺・岡山の戦いにおいては4,000人の兵を率いて本多忠朝(忠勝の息子)や小笠原秀政らを討ち取り、さらに浅野長重・秋田実季・榊原康勝・安藤直次・六郷政乗・仙石忠政・諏訪忠恒・松下重綱・酒井家次・本多忠純の軍勢を撃破するという鬼神の如き奮戦をする。
さらには真田信繁と共に家康の本陣に何度も肉薄し、三方ヶ原の戦い(家康が武田信玄にボコられた戦い)以降倒れたことのない家康の馬印が倒れ、家康自身死を覚悟したと言われている。

天王寺・岡山の戦い布陣図(Wikipediaより引用)

しかし衆寡敵せず、数で劣る豊臣軍は次第に押され、真田信繁は討ち死にし、勝永は豊臣軍の中で唯一壊滅することなく戦線を維持いたが、大坂城への撤退を余儀なくされた。
撤退においても藤堂高虎隊を壊滅させたり、井伊直孝や細川忠興らの追撃をよく防いでいる。

そして主君豊臣秀頼の介錯を務め(諸説ある)、炎上する大阪城で息子と共に自害して果てた。


それにしてもすごい武勲赫々の人物である。
それなのに真田幸村に比べるとマイナー過ぎる!
もっと毛利勝永は評価されるべきではないだろうか。



 
勝永を主人公にした小説だそうです。

<参考資料>
フリー百科事典Wikipedia

<関連記事>
就職の神様


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